自分の存在理由を考えた時
そこに何も見出せない恐怖に
私は有りもしない心臓が止まったような気がした
正常と異常の間隙で。
シュタールを退け、ヴァナード城内に一時の平穏が訪れても私の心は決して休まりはしなかった。
戦いで犠牲になったブリジンガーメンの面々や兵士達に対して悲嘆に暮れているからではない。
人の死を悼む心―いや、プログラミングが欠如しているという訳ではなく―
ただ、あの時以来胸の内に暗い影を落とし続けている彼女の言葉が未だに消えようとしなかったからである。
『<<闇の種族>>を相棒に選ぶということは、とりもなおさず、不良品か欠陥品であることの証だわ』
彼女の言い分はラグナロクとして正論以外の何物でもなかった。
よくよく思い起こせばあの冷たいような口調さえ、単に冷静な物腰だっただけだという事も出来る。
そして、私は彼女の言葉に決して怯むつもりはなかった。
彼女に対してだけではない、全ての私とリロイの関係を愚弄する言葉を受け止められる自信が私にはあるはずだった。
私はリロイが<<闇の種族>>である可能性を認めた上で相棒として共にいることを自覚している。
たとえ闇の気配を知らせるセンサーが鳴り止む事がなかったとしても、私は"リロイだから"彼をパートナーに選んだのだ。
そのことによってラグナロクとしての私の価値が疑われようとも少しも怖くなどない。
私を用いるのがリロイである限り、彼にとって価値ある存在であるならば他者にどれほど嘲弄されようと気にもならないと自負していた。
だが、そんな矜持はオルディエの辛辣な指摘の前に、脆く崩れ去るしかなかった。
なんの反論も言えず、ただただリロイの優しい言葉に安堵するしか出来なかった、弱い自分。
あの瞬間、私は初めて自分がラグナロクとして異端であることを自覚した。
それまで誰も私の選択に口を出すものはいなかった。
私がラグナロクであるということすら知られていなかったからであろうが、そういう誰からも否定される事のない環境の中で、
私は無意識に甘えていたのかもしれない。
現実を見て、私は疑問を抱いてしまった。
このままでいいのか。
こんな、不完全なラグナロクが存在してもいいのだろうか―
これまで折に触れて考えてきた事が、それまでの何倍もの重さを帯びて圧し掛かってくる。
その荷重の中で私は、長い時をかけてようやく持つ事の出来たリロイの相棒であることへの誇りを見失いかけていた。
その夜リロイにあてがわれた寝室は、予想に反して豪奢なものだった。
おそらくヴァナードの城の中でもランクの高い来賓用の部屋であるのだろう、絢爛な内装は数刻前まで戦いが行われていた城内のものとは思えないほど
ゆったりとしている。
リロイはその派手さに些か気圧されたように眉間を顰めながら、高価そうな調度にペタペタと指紋を残していた。
(餓鬼じゃあるまいに…)
そんな事をいう気にもならず、私はおとなしく剣に納まってじっとしていた。
やがて部屋の見物に飽きた彼が、私が立てかけてある主寝室に戻ってくる。
「この部屋、凄い広いな。フレイヤも捨てたもんじゃない」
久々の好待遇に嬉々として、リロイは血染めになった服を脱ぎ捨てた。
(…単純なヤツだ。単にこんな部屋しか空いていなかっただけだろう)
そう、普通の部屋は負傷した兵士の手当てやその他の者の避難場所となっていた。
だが私は機嫌のいいリロイに水を差すほど無粋ではない。
彼はシュタールを相手に良くやったと思うし、正直なところ私は彼の見せる無邪気な笑顔に殺伐とした心を癒されていた。
私の目など気にするでもなく全ての衣服を剥ぎ取って、リロイはいそいそとシャワー室に消えていった。
いまこの瞬間に敵襲にあったらその格好で戦うのだろうか―
以前にも一度、全裸で大立ち回りをしてみせたリロイのことだ、やはりその格好で戦うのだろうな。
この城にはまだキルシェもいる。
万一見られたら、今度こそオルディエの意図とは関係なしに全殺しかもしれない。
その時、私の他愛もない思考を断ち切るようにリロイの大声が響いてきた。
シャワー室から聞こえてくる歓喜の叫びは―どうせ、そこが一面大理石だったとか、小物がブランド物とかその辺のくだらない事だろう。
そしてテンポ良く壁や床に打ち付ける水音を心地よく遠めに聞きながら、私は再び物思いに耽る。
悪い癖だと分かってはいるものの、何千年という間に身についてしまった考える癖は一向に抜ける兆しを見せない。
少なくとも、私が紅茶をつい注文してしまう癖が抜けないようでは、こちらを止める事は出来なさそうだ。
それからリロイは―いつものことではあるが―驚くほどの短時間でシャワーを終えて戻ってきた。
やはり出さなくていい物も大っぴらにしたまま、彼のガッチリとした体には小さく見える清潔そうな白いバスタオルを肩に下げて。
彼は寝室に入るなり、真っ先に着替えを取り出した。
黒のシャツに黒のレザーパンツ。
新しいレザーコートは当然、身に着けずに椅子にバサリとかける。
傭兵という職業上、私はリロイが寝巻き姿でいるのを全く見たことがなかった。
それでももう慣れきった服装だからか、彼は髪を乾かすのも中途半端にしてごろりとベッドに寝そべった。
「<<闇の種族>>か…」
珍しく嘆息するように呟くのを聞いて、私は意識をリロイに向けた。
「なんだ、お前にしては憂慮のある呟きだな」
「…どういう意味だよ。まあ、でもいいや。―お前はさ、ああいうヤツとずっと闘ってきたんだろ?」
ああいうヤツというのは、シュタールをさしているらしかった。
私は大して感慨もなく、あぁ、まあな。と生返事を返す。
するとリロイは小さく鼻を鳴らして悲しそうに口を開いた。
「―今までのやつはさ、確かに強いけどそれだけだったんだ。だがアイツは何ていうか…」
「安心しろ。いくら<<闇の種族>>といえどもああいう可笑しいのは稀だ。幸い、私が倒した中にシュタールのような例はあまりないな」
「そうか。なら、いいんだが」
「何が言いたい?お前が話し合いで決着をつけるわけでもあるまいに」
からかうように言う私にリロイは困惑した顔を向け、洗ったばかりの頭をボリボリ掻いた。
「そうだけど、俺は殺すにも意味があると思ってる。今日のアレに意味なんてなかっただろ?まぁアイツ自身にとっては娯楽だったのかもしれないが…とにかく俺はああいう戦いは好きじゃないんだよ」
成る程な、と宝玉の中の意識のみで頷いた私に、リロイは少しだけ嬉しそうに頬をゆがめた。
そしてその体勢のまま瞼を閉ざした彼が眠りについたのは、ほんの数秒先のこと。
私はそれを見つめながら、三度目の思考の海へと沈んでいった。
同じ思考は、解決という出口に行き着くまで、何度も何度も繰り返される。
私は鼻の奥から鼾を惜しまずに眠るリロイをじっと見つめ、またしても堂々巡りな事を考えていた。
私は不良品なのか?
本当に?
それは、嫌だ。
私がリロイを受け入れた事を不良品だからという事で片付けられるのは少なからず癪だった。
そうとしか正常な者にとって定義できない事は分かっている。
異常な私だけがリロイへの執着を理解し、リロイだけがそれを受け止めてくれる。
それは、わかりきった事なのだ。
だが、もし…
私のリロイへの執着という根底がすでに偽りだったら…?
私はこの無限ループから解放されるのではないだろうか。
そう、私はリロイを殺せるかもしれない。
正常なラグナロクとして、もしかしたら…。
そう思い立って、私は薄明かりに染まった部屋に分子の体を構築した。
白い、淡い光を放ちながら私の意識はローブを纏った青年の中に移行する。
五官が宿り、部屋の温かさが数値としてではなく肌を舐める空気の感触として意識の中に取り込まれる。
私は静かに―とはいえ、踝まで埋まる絨毯は気をつけずとも足音を立てる事はなかった―リロイの傍へと歩み寄った。
全く起きる気配のないリロイ。
余程疲れていたのだろう、彼は夢を見ているのか時折顔をニヤつかせながらも私の気配に感付くことはなかった。
そして私は手を伸ばす。
彼の首を、絞めるために。
本気で殺そうと思えば、人型をとる必要などまるで無かった。
<<存在意思>>を収束させ、それを寝ている彼にぶち込めばいい。
そう思うと、リロイにとって一番恐ろしい刺客は私ではないだろうか。
私にその気がないから安心していられるだけで、今みたいに寝込みを襲う事など正常なラグナロクにとっては容易い事だ。
それとも、自分を買いかぶりすぎているだろうか。
私が敵に回っても、リロイは私すら倒して生きていくのかもしれない。
一瞬の気の緩みが祟った。
私がリロイの首筋に伸ばそうとした腕が、瞬く間に力強い両の手に捕らえられる。
「リロ…っ」
焦る私を見つめる漆黒の双眸は、何故かひどく穏やかだった。
彼は私の腕を首筋から退けて、ゆっくりと厚い胸板の上にあてがう。
何のつもりかと開口しかけた私に向かって、リロイはニヤリとふてぶてしい笑みを刷いた。
「もったいぶらずに<<存在意思>>をつかえばいいだろ。お前になら、殺されたって構わないぜ?」
「な…んで…」
「なんで?そりゃ、お前がラグナロクだから。お前が俺を―<<闇の種族>>を殺りたいなら構わない、っていってんだ。俺は俺の意志で生きるがな、
死ぬ時だって俺の意志で決めるんだよ」
私はその傲慢な物言いについ頭に血を昇らせた。
分かっている、私に血など通ってはいない。だがとにかく無性に腹が立って、リロイの胸に添えた掌に私は<<存在意思>>を集中させた。
しかし、その青白い光が細く迸る光景を目の当たりにしてさえ不遜な表情を崩さない相棒に、私は急に空しさを覚える。
刹那、<<存在意思>>が大きな光となって奔騰し、部屋中がまばゆい光に満ちた。
だが、それ以外には何も起こらなかった。
収束された<<存在意思>>はごく微量だった。
それでも全て破壊エネルギーに変換すれば相当な威力があっただろう。しかし、私は全てもとの形態に還元したのだ。
なにも起こらず、残されたのは敗北感に打ちのめされた私と、唖然としているリロイだけ。
私は、リロイを殺す事がどうしても出来なかった。
正常であると証明する術は、ことごとく崩された。
「お前、なにやってんだ」
変な時に起きちまったじゃないか、と不平を垂れるリロイに私は無理に笑おうとした。
けれど、それはどういうわけか何かをこらえる時の必死な表情になってしまって。
こらえたかったのは出るはずのない涙だったのだろうけど、私はその顔を見られたくなくて俯いた。
「私は―」
「言うなって」
言い訳をしようと思ったのか、自然と飛び出した言葉をリロイは穏やかにさえぎった。
彼の中に巣食う凶暴性は眠ったように息を潜め、普段から厳つい顔立ちも、何故か優しく目に映る。
私が言われたとおりに言葉を切ると、リロイはむっくりと起き上がって私の体を抱きしめた。
恋人同士の―というよりは、母親が子供にするような、そんな抱擁。
それに不本意ながらも安堵しかけて、私は慌ててリロイの腕を引き剥がそうとした。
「やめっ、リロイ!」
私の体は冷たい。
立体映像という生命体ですらないモノなのだから仕方ないのだが、この冷たさも私の精神的な弱点だった。
だから、あまり触れられたくない。
「俺じゃだめなのか」
くぐもった声が耳朶を打つ。
私は、切なさに唇を噛み締めた。
「…お前の存在理由は私ではないだろう。不公平だな」
「お前は俺の物だろう」
「不良品だそうだがな」
"妹"を思い出しながら皮肉っぽく言うと、リロイは鼻で笑って私の言葉を一蹴した。
「粗悪品?違うね、稀少品だろ」
難しい言葉を良く知ってたな。そう揶揄する事も出来たのに、私は言葉に詰まって何も言えなくなってしまった。
リロイは相変わらず私の体を抱きしめながら、渋面になる私の額にそれをあわせる。
それから不敵な笑みを零して囁いた。
「自分が正しいと思っときゃ、いいんだよ。くよくよ悩むな」
「それが私の役割なんだがな」
「じゃ、悩む代わりに俺のこと考えとけ」
そのあまりにも突拍子な発言に、私は久々に大笑していた。
それも、アリかもしれないな。などと言いながら、私は胸の中で思う。
だからお前と離れられない。
お前といれば、全てが何とかなりそうな、そんな気に駆られてしまうから。
読んでくださり、ありがとうございました。
ラグナロク一作目。お話の時期はヴァナード王国編(6巻)の葬儀が行われる前、戦闘直後の夜です。
ラグは独白したがりなので、書き易いですねv
リロイも動くキャラなので、描写が結構楽しいです。…ああ、やはり安井先生のもともとのキャラ設定がオイシすぎるんですよね。
ほんと、ラグナロク大好きです(笑)
by.涼木ソラ