腐臭がたちこめていた。
あたり一面に死体が広がっていた。
人間のものや、闇の種族のもの。
夥しい血液は河となってあふれ出し、茶褐色の大地を染めていた。
そのただ中で。
俺は呆然と立ち尽くす。
空が、青い。
あまりにも清浄な青さに美しいという気持ちを通り越して吐き気を覚えた。
朱に濡れ、鈍く輝くラグナロク。
こびりついた肉片を、汚いと思った。
でも、ただそれだけのことだった。
傭兵
戦争があった。
どことどこが争っているかに興味はない。
俺に与えられた仕事は、敵国の人間を殺すことだけ。
ギルドのトラックに詰め込まれ、配属された場所で無慈悲に下ろされる。
報酬が欲しければ生きて帰ってこい。
後戻りは許されず、俺達は進むしかなかった。
味方の兵士は俺たちを期待の目で見つめている。
ギルドの傭兵さえ居れば大丈夫だ。
そんな根拠のない論理で彼らは俺たちを歓迎した。
進んでも進んでも、敵に遭うことは無く。
味方の兵士に紛れて行軍して4日目。
鬱蒼と羊歯の生い茂る密林の中、俺達はキャンプを張っていた。
傭兵になってからまだ日が浅い。
知り合いは、サンドラだけだった。
ジェイスは居ない。
「どうした、浮かない顔だねぇ」
「・・・別に」
こういう任務に慣れているせいなのか元来の性格なのか、サンドラはマイペースに食事を準備する。
それをぼんやりと眺めながら、俺は支給された剣を磨く。
まだ、自分の剣は持っていなかった。
兵士のひとりが近づいてきて隣に座った。
片手にはウォッカ。もう片手には小さなボロボロに擦り切れたアルバムを持って。
「俺の妻とガキなんだ」
酒臭い息をしながら、男は楽しそうに俺に言った。
開いたアルバムには母親と愛らしい子供がふたり。男の子と女の子だった。
「そうか」
淡白に言っても男は気分良さそうに頷いている。
見るに、話し相手なんて誰でも構わなかったのだろう。
男は一方的に喋っていた。
「かわいいだろう?こんな子供には戦争なんて知って欲しくねぇな。
平和な暮らしが一番だ。殺し合いなんて、悲しすぎる。無闇な殺生は罪だろう?」
そうだな、俺は死んだ声で言った。
だけど俺は傭兵。あんたには悪いけど、人を殺して生計立ててんだ。
男はにこやかに笑ったまますうすうと寝息を立て始めた。
それを見ながら、争いの似合わない男だと思う。
手に危うげに持ったままの酒瓶とアルバムを男の懐にしまってやる。
我ながら、変にやさしい事をしたと思った。
行軍6日目。
密林を抜けて開けた草原に出た。
草丈は低い。
大部分が敵の餌食になるだろうと思った。
銃声がとどろいて、様子を見に出て行った数人があっけなく全滅する。
ライトグリーンの上にどす黒い血とグロテスクな死体が散らばった。
「一気に駆け抜けるぞ」
生き残れるかどうかは運にすがるしかない。
傭兵だろうが兵士だろうが、関係なく走り抜けた。
戦車から打ち出される砲撃に地面が抉れ、土が噴水のごとく跳ねる。
巻き込まれた兵士の身体の一部が容赦なく頭上に降り注いだ。
臭い。
生臭さに俺は頬にへばりついた肉片を払う。
そうして俺は、すこし離れたところにいる敵兵を睨み、そこに向かって猛進した。
すぐ隣をサンドラが走っている。
彼女は至極愉快そうに微笑んでいた。
戦場と化す草原。
もともと稀少な銃や大砲は底をつき、敵兵も剣を担いで躍り出る。
混戦になった。
あちこちで断末魔の叫びが人々の心を変えていく。
初めは恐る恐る振り上げていた剣にも力がこもり、振り下ろす瞬間に快感を覚える。
吹き出す血液に高揚し、手がそれに濡れる事すら気にならない。
普段なら、鳥を捌いて出る血にすら不快感を覚えるのに。
腐臭がたちこめていた。
あたり一面に死体が広がっていた。
夥しい血液は河となってあふれ出し、茶褐色の大地を染めていた。
そのただ中で。
俺は呆然と立ち尽くす。
空が、青い。
あまりにも清浄な青さに美しいという気持ちを通り越して吐き気を覚えた。
朱に濡れ、鈍く輝く右手の剣。
こびりついた肉片を、汚いと思った。
でも、ただそれだけのことだった。
生き残った味方は半分以下だった。
野営を草原からそう遠くない岩場に築き、俺達は束の間の安息を貪る。
だが、何かが変わってしまった。
知り合った男は俺の事を覚えていて、生き残れた事を祝福してウォッカを呑みにやってきた。
その右手にはアルバムではなく、大きめの鼠。
焼いて食うのかと問いかけると男はいいや、と首を振る。
男は懐から小さなプラスティック爆弾を取り出すと、ピンを抜いて鼠の口に押し込んだ。
飲み下されるそれ。
鼠は地面に放られてちょこまかと歩く。
可愛らしい、鼠。
手に乗せて可愛がってみたいと思わせる愛嬌のよさ。
黒目がちな瞳が綺麗なそれは。
爆発して、吹き飛んだ。
男は笑う。
俺も嗤った。
面白いことなんて何もない。
だが、だからこそ、笑うしかなかった。
肉が飛び散ってぼとぼとと落下する。
鼠の肉は、ぼろぼろになった人間の肉とそう違いはなかった。
『殺し合いなんて、悲しすぎる』
そう言っていた男はもう居ない。
男は殺すことに麻痺してしまった。
たった数時間の戦いが、人の心を凍らせる。
すこし離れたところでそれを見ていたサンドラが俺の隣に腰を下ろす。
男はサンドラを俺の彼女だと勘違いしてそそくさと立ち上がった。
「565」
唐突に彼女は言った。
ごひゃくろくじゅうご。
何の事だ?と目を向けると、サンドラ軽く肩を竦めた。
「殺した人間の数」
「数えてるのか」
言うとサンドラは頷いた。
戦いが好きなサンドラ。
死んだ人のことなんてどうでもいいと真っ先に言いそうな女なのに。
「殺した565人の人間には、家族が居たり恋人が居たりして、
あたしは、そういう人との明るい未来を奪ってるんだろうさ。
だからね。それをあたしが償わなきゃならないんだよ」
ふかした煙草の、紫煙が流れた。
「・・・出来るわけないだろ、そんな事」
「出来ないのは分かってる。でもね、傭兵は所詮人殺しなんだ。
良心に縋ってないと、あの男みたいになっちまうよ」
煙草の先で指した方に、あの男は居る。
何かを忘れてしまった哀れな男。
生き残ったとして、彼は幼い子供に武勇伝を語るのだろうか。
「・・・仕事だ」
俺は人殺しだ。
でもそれが仕事だろう?
事務員が書類を整理するのに良心が居るのか?
サンドラはくすくすと笑った。
嘲るような、哀れむような、悲しい笑い。
「そう割り切れるほどあたしは強くないんだよ。
リロイ、あんたにも弱い人間の事がいつか分かると良いね」
数年後、サンドラは死んだ。
悲しかったが、あんたの失われた未来を代わりに負ってやりたいとは思わなかった。
だって、あんたはそうなるべくして死んだんだろう?
今でも何も変わらない。
どれだけ殺しても、俺はそれを仕事だと思う。
だってそうだろう?
俺は暗殺者じゃない。
お互いに死ぬ可能性を分かってて殺しあうんだ。
俺は殺されても相手を呪うつもりもない。
傭兵は人を殺して生きている。
食物連鎖の果てに、同属を殺して、生きている。
腐臭がたちこめていた。
あたり一面に死体が広がっていた。
人間のものや、闇の種族のもの。
夥しい血液は河となってあふれ出し、茶褐色の大地を染めていた。
そのただ中で。
俺は呆然と立ち尽くす。
空が、青い。
あまりにも清浄な青さに美しいという気持ちを通り越して吐き気を覚えた。
朱に濡れ、鈍く輝くラグナロク。
こびりついた肉片を、汚いと思った。
でも、ただそれだけのことだった。
by.涼木ソラ