傭兵に正月もクソもない。


そう言ったのは紛れもないアイツだったはずなのだが…。










Anliegen










「正月って言ったら…餅食ったりとか、凧あげたりとか…あ、やっぱ初詣だよな、初詣」




貧乏性のリロイでも金の入るときは傭兵という職業柄、それなりには裕福であるわけで―私は休暇を利用して弥都に連れて来られていた。

むろん休暇といえども、勝手に休んでいるだけなのだが。



しんしんと雪の降り積もる純和風な庭園を眺めつつ、私は先ほど旅館の部屋を出て行ったリロイの帰りをじっと待っていた。

すぐ戻る、という言葉はあまり信用してはいなかったが、さすがに何時間も待ってると苛々してこなくもない。

私は暇つぶしに卓上に据えられた茶器で緑茶を煎れ、ずずっとそれを啜った。

それを飲み終えてからは、茶柱を立てようと何回も挑戦した。

馬鹿な試みだとは分かっていたが、いかんせん暇だったのだ。




「…暇だな」




いままで心の中に留めていた事を口にした瞬間、なんだか空しさが込み上げた。

だが、それを何食わぬ顔で嚥下して、ふと廊下の方に意識を向ける。

微かだが、聞き覚えのある声がしたような気がしたからだ。




「うわぁ、超似合ってるよソレっ!!」




…嫌な予感が、する。


私は玄関まで駆け寄ると扉を少しだけ開いて、そっと外を伺った。


無人の廊下。

だが、やはり知った声が殷々とそこにこだましている。


「いーなー。いーなー。アタシなんかこんなのだよっ?!まるでお子様じゃんかよぉ」

「嫌でもそのうち大きくなるんだから、大人しくしてなさい」

「ぶー。そのうちっていつだよー」

「…そのうちはそのうちよ」




…予感的中、だ。


廊下の向こうから、キルシェとオルディエの二人が着物姿で歩いているのを見つけて、私はがっくりと項垂れた。

そして見つからないうちに素早く扉を閉めると、聴覚を研ぎ澄ませて外の様子をなんとか探る。


「…キルシェ、下がりなさい」

「えっ?何なにっ?」

「いいから下がってなさい」


私は見つかったのかと内心冷や汗をかいていたが、どうやらそれは違うらしい。

私のいる部屋から少し離れた場所で止まった足音は、反対方向からやってくる足音に取って代わった。

それは―


「あーっ!!黒ずくめ菌の登場だねっ!!?」


…やっぱり。


部屋の扉さえも貫いて響き渡ったキルシェの声にうんざりしながら、私は深い溜息をついた。

頼むからこんなところで戦わないでくれと誰にとも無く祈りつつ、私は再び扉を開く。

その隙間からはちょうど私を境目にしてオルディエとリロイが対峙していた。




「…なんで居るんだよ」


やる気のない声で呟いたリロイが二人を無視して進もうとするのを、オルディエが素早くさえぎった。


「あら、それはこっちが訊きたいわ。どうしてあなたは目障りにもいちいち私たちの前に現れるのかしら?」

「知らねぇよ、そんな事。―俺は忙しいんだ、さっさとどっか行ってくれよ」

「どっか行け、ですって?あなたが行けばいいんじゃないかしら」

「…あいにくと俺の部屋はそこなんでね」


仏頂面でリロイが私の居るところを指差すと、総勢6つの視線が私の方に集まった。


「竹の間…?うゎ。いっちばん安い部屋だよ」


キルシェの雑言にリロイが鼻面を顰める。


「おい、そういうお前らはどの部屋なんだよ」


売り言葉に買い言葉。

反射的に訊き返したリロイの前で、少女は得意げに鼻腔を膨らました。


「ジャジャーンッ!あたしたちは、もちろんスィートだよ。スィートっ!!」

「…んだとぉ。俺だってな、それくらいの金出そうと思えば…」


おいおい、頼むから止めてくれ。

こんな低レベルな口論は。


そう切実に願う私を無視して、リロイとキルシェの言い合いは白熱する。

その様子をオルディエが白けた表情で見ているが、手出しするつもりはないらしい。


…仕方ないな、もう。


意を決して、私は扉を思い切り開いた。

バシンッと派手な音が鼓膜を打ち、その音に二人の動きが止まる。


「止めないか、ふたりとも」


言うと同時に私を見つめる二人の視線に、すこしだけ気を良くした私だったが、どうやら私は甘く見ていたらしい。


「あ、あはははっ!出たなっ、この黒ずくめ菌のなかまの白ずくめ菌め!」


さささっ、と音がしそうな勢いで飛び退ったキルシェが叫びながら私を指差す。

そこでようやくオルディエが動いた。


「そこまでよキルシェ。早く行かないと混んでしまうわ」

「…そっか。そーだった」

「そうよ」


宥めるように赤毛を2、3度梳いてやって、オルディエは穏やかに微笑んだ。


「命拾いしたわね、兄さん」


その台詞に違和感を覚えながらも、私は何も言わなかった。

とにかく早く居なくなってくれればそれでいい。


そうしてやっと厄介者が居なくなった事に胸を撫で下ろしたのも束の間、私はリロイの腕に抱えられた荷物の山に初めて気付く。


「…なんだ、それは」


眉を顰めながら訊くと、リロイはニヤッと意味ありげな笑みを浮かべて私を部屋の中へと促した。





















「ばっ、馬鹿かお前はっ!!」






狭い畳張りの部屋に、私の怒号が鳴り渡る。

ちなみに、ついカッとなって喰らわした握りこぶしは、難なくかわされてしまっていた。



目の前に広げられてあるのは弥都の着物であるらしかった。

黒を基調としている羽織袴と、華やかな紅色の…。


「どういう神経をしているんだ、全く」

「いや、似合うかな〜って思って」

「…そういう問題じゃない」


キッパリと言ってやれば、リロイはそうかなー、と腑抜けたことを言いながらぽりぽりと頬を掻いていた。

私のこめかみに、青筋が立つ。


「とにかく、これは返してこい」

「えー。これ、高かったんだぞ」

「知るか」


一番高かろうとなんだろうと、明らかに間違っている事をそのままには出来ない。

つまり、何があろうと私が女物の着物を着るなどありえない、という事なのだが…。

リロイは一向に折れなかった。


「いいじゃん、一回くらい着てみろよ」


…そのしぶとさはどこから来るんだ。


一瞬、本体に戻ってやろうかとも思ったが、リロイをどうにかしないといつまでも粘りそうな気がして私はついに妥協する。


「…わかった、ここでだけなら着てやらないでもない」


その言葉にリロイは小躍りして喜んだ。

そして私は、リロイがその逞しいからだに着物を着付けていくのを眺めつつ、傍らに置かれた鮮やかな晴れ着を恨めしげに睨んでいた。


どういう理由があって私が女装をしなければならない?

その理由はひどく単純な事だったのだが、私はそこまでリロイが変態だったとは露ほども知らなかったのだ。


「よーし、今度はお前の番な」


意気揚々と私に告げるリロイの顔は子供のようにキラキラしていて、その無邪気さに無性に怒りを覚える。

私は言われるままにローブを脱ぎ去り―やたらと見つめてくるリロイに殺意さえ抱いた。


「…寒いのだが」

「あっ、悪ぃ」

「男の裸を見て楽しいか?」

「へ?…あぁ…ていうか、お前…細いんだな」


細い。

今まで生きてきて初めて言われたことだった。

それゆえに何と言い返せばいいか戸惑って黙り込んだ私をリロイはクスリと小さく笑った。




リロイはどこで覚えてきたのか、着々と私に着物を着せていく。

そして最後に帯までしっかりと締めれば、リロイの笑みはますます深くなっていた。


「できたぜ」

「・・・そうか」


なんというか…なれない感じだ。


腕を上げたり下げたりしている私のすぐ後ろに、リロイがそっと寄り添ってくる。

なんだ、と肩越しに振り向けば、リロイは珍しく真摯な表情で私に小さく囁いた。


「…キレイだ」


そんな事言われて喜ぶと思っているのか?

そう言い返してやるつもりだった。

なのに、私は心の奥底で実際に嬉しいと思っている自分に気付いて思わず口を噤んでしまう。


「見てみろよ、すっごいキレイだぜ、お前?」


髪を結えないのが残念だ、とぶつぶつ呟きながら私を鏡の前に促すリロイ。


私は、鏡の前に立ちながら恐る恐る視線を上げた。






「・・・・・・」


鏡に映った、初めて見る艶やかな衣を身に纏った自分の姿に私は戸惑いと羞恥の為にまたしても言葉が出なかった。

私が何もいえないでいるのをいい事に、そっとキツク帯の締まった腰に腕を回すリロイ。

そのまま大胆に晒された項にリロイの熱い吐息と唇の感触が降りてくる。


「やっ、何をやっているんだお前っ!」


私とて、無駄に戦闘を重ねているわけではない。

力いっぱいリロイの体を跳ね除けて、私は鋭くおどけた表情で飛びのいたリロイを睨みつけた。


「ゎお、色っぽいな〜」


いきなり何を言うのかと思ってリロイの視線を辿っていけば、大きく開かれた合わせからのぞく、私の大腿がそこにある。

私は、なんていうか・・・少し悲しくすらなって大仰な溜息を吐き出した。


もうどうにでもなれ。


その時の私の感情を表すとすれば、ピッタリの言葉がそれだった。


「この、スケベ野郎が……」


微かに感じる頭痛に額を押さえながら私は呟いたが、リロイの耳にはもちろん届いてはいない。

相棒は、反省の色を見せるどころか調子に乗って私の腕を引っ張った。


「さぁ、行こうぜっ!」


…行く?何処に?


怪訝な顔をして半眼になる私に微笑みながら、リロイはするリと私の指に、自分の指を滑り込ませる。

つまり―私とリロイは手をつないで、半ば強引に旅館の廊下へと飛び出した。


「正月だぜ?初詣に行くに決まってるだろっ」

「あぁ・・・初詣、か」


成る程、と納得しかけて私は自分の格好にはたと気付く。

その瞬間、私は手を引くリロイを食い止めるべく全力で足を踏ん張っていた。


「まっ、待て!お前私を騙したなっ」

「―は?騙してなんてないだろ〜」

「なんだとっ、私は一言もこの格好で出歩く事を許可した覚えは…っ!!」

「いいから、いいから」

「・・・・・・なっ!?」


良いわけがあるか!


私は心の中で絶叫しながらも、突然のリロイの行動に言葉を奪われた。


「お、下ろせリロイ!馬鹿っ、阿呆っ!!」


私は、俗に言う"お姫様抱っこ"の状態でギャーギャーと子供のようにわめきたてた。


・・・くそ、私としとしたことが…この冷静沈着な美青年キャラが台無しではないか。


そう思って少しだけ悲しさが込み上げた、その時。


「このままで行くのと、手ぇ繋いで行くのと、どっちがいい?」


意地悪に、愉快そうにニヤリと笑うリロイ。

私はどうしてか、どっちも嫌だ、という選択肢を思いつくことが出来なかった。

憮然としてリロイに己の手を差し出すまでは。


「―じゃっ、そういう事で!」


完全に浮かれた表情で私の手を握るリロイを見つめて、しまった!と思う。

しかし、ちょっと強すぎるんじゃないか、というほどの力で私の手を拘束するリロイの手の温度に浮かされて、私はやはり何も反論できなかった。

そして気付く。

私は、リロイの行動に実は喜んでさえいたんじゃないか、と。

口にこそしないが、私はリロイに惚れている。

何をされても、何を言われても―私はリロイに逆らえない、不本意ながらも。











大勢の人でにぎわう神社の参道を歩きながら、私は俯いたまま、ちらちらと私を見下ろすリロイの眼差しに心を揺らしていた。

いよいよ本堂までたどり着いて、リロイは私に耳打ちする。


「なんでも、神様に好きな事お願いしろよ」

「…お前は神様なんて信じてないんじゃなかったか?」

「いいんだよ。俺は、都合のいいときだけ信じてるんだ」


賽銭を放って、鈴を鳴らして、私たちは神に祈る。

信じてないはずの神様に、敬虔な信徒のような顔をして。







「なぁ。お前、何願ったんだ?」

「・・・秘密だ」

「えーいいじゃんか、ちょっとくらい」

「ちょっとも何も、人に教えたら叶わなくなるんだぞ、願い事というものは」

「あー、そぉか・・・」

「そうだ」


私は、残念そうに唇を尖らせたリロイを流し目に見て、こっそり笑った。

言わなくても、私の願いなどたったひとつだ。

それは、世界平和でも、<<闇の種族>>の滅亡でもない。



『私の願いは、ずっとリロイ―お前と一緒にいられることだ』



決して本人に悟られぬよう心の中で囁いて、私はさりげなくリロイの掌を握り締める。

リロイが驚いたように私を見て、それからぎゅっと私の手を握り返すのに、私は柔らかく微笑んでやった。







「あ゛ぁっ!黒ずくめ菌と白ずくめ菌が手を取り合って歩いてるよー。気持ち悪ぅ〜」

「いいから、見なかったことになさい。目が腐るわよ」

「うぅ・・・わかったよ」


遠くの方で、なにやら騒々しい声がするが、気づかなかった事にする。

ふいに見上げた冬の空の青さに目を細め、私はおおきく息を吸い込んだ。


なんだか、今日は気分がいい。

今年はいい年になりそうだ、と何の根拠も無く思いながら、私はもう一度リロイの手を強く握り締めた。











明けましてた、おめでとうございます。
少し遅れましたがラグ正月ssを書いてみました。
無駄にキルシェがでしゃばってますが、そのへんはお愛嬌(笑)
今年もガッツリ書いていくので、これからもよろしくお願いします。

by.涼木ソラ