Weihnachtsgeschenk
ホテルの一室。
うとうとしていた私は、本体を叩くコンコンという音にはっと意識を覚醒させた。
「…なんだ」
「いや、呼んでも返事がないから死んだかと思って」
「悪いな、私は自然死しない」
「なんだよ。こんな日にそんな怖い声すんなよー」
いったいどういう声だというんだ。
私の声はいつも同じ波長のはずだが…と説明しかけて、リロイが私の目の前にぐっと顔を近づけたので思わず黙る。
「おまえさ、なんか欲しい物あるか?」
「欲しい物?…特にない」
「言うと思った」
「なら最初から訊くな」
いつも通りの会話だった。
それなのにリロイはふてくされたような寂しそうな表情で、はぁっと深い溜息をつく。
「じゃあ、いいや。―ちょっと出かけてくる」
「ああ、行ってこい」
しばらく戻ってこなくていいぞ、とは心の中だけで呟いて私は慌しく部屋を出て行くリロイの後姿を見送った。
「…静かだな」
物音一つしなくなった部屋をぐるりと見渡して私はようやく人の姿を構築する。
そしてリロイの荷物の中から一冊の分厚い本を取り出し、それを小脇に抱えてテラスに座った。
いい天気だった。
冬だけあって吹いてくる風が少し体に堪えるが、差し込む日差しは暖かい。
何にせよ、私の体感温度などどうにでもなる。
私はテラスから見える街並みをゆっくりと見渡してから、デッキに備え付けられた椅子に腰掛けて本を開く。
哲学について書かれたその本は、難しいが私にとっては面白い一冊だ。
それをリロイに見せたときの表情を思い出して苦笑しつつ、私はどんどんそれを読み進めていった。
面白い本というのは読者に時を忘れさせる。
私がふと気付いた時、外はもう日も落ちかけて辺りは橙色の光の洪水のなかに沈み込んでいた。
「うっ…寒ぃな」
声のした方を見上げると、黒のTシャツ一枚のリロイが肩を縮めて立っている。
出掛けるときはコートを着ていたが、シャツだけとなるとさすがに寒いらしい。
「なんだ、帰ってたのか」
「なんだ、って…。もしかしてお前、一日中それ読んでたのか?」
「ああ、そうだが。悪いか?」
まるで見るのも嫌というように分厚い本を指差すリロイに、私はあえてそれを見せ付けてやる。
ずいっと差し出されて思わず顔を退いたリロイは、眉を顰めつつ言葉を濁す。
「悪くはないがなぁ…今日、何の日か知ってんのかお前」
「……何の日だ?」
「おいおい、本気で言っんのか?!」
「五月蝿いな、私はいつだって真面目だ」
至極まじめくさって答えた私の目の前で、失礼にもリロイは頭を抱えてうずくまった。
「マジかよー。今日はクリスマスだぞ、クーリースーマースっ!!」
「クリスマス?……あぁ、クライスト教団の祭典か」
「まぁそれも間違っちゃいねえけど…」
リロイはなにかを言いたげに口元をもごもごさせている。
だが、肝心の言葉が出てこないらしい。
語彙が足りないせいだな。だから日ごろから読書は重要だと絵本を勧めてやってるのに…。
「あぁぁっ、とにかくだっ!!」
私が同情をこめて見下ろしていると、リロイが唐突に立ち上がって私の腕を掴みあげた。
そして私が非難の声をあげるのも聞かずにずるずると部屋の中に引っ張り込む。
「あ…」
「クリスマスはこうやって楽しむもんだろ!」
私は―リロイには悪いが―目を疑った。
目の前に並ぶ食事の数々。
それらの全ては他所で買って来た物ではあったが、リロイがこんなにまともな食事を買えたということに私は感激で声が出ない。
「ケーキもあるんだぜっ!」
私が茫然としている前で、リロイは椅子の上に載せてあった白い箱を持ち上げる。
「リロイ、お前…」
「悪いな、サンドラの受け売りなんだが…クリスマスはみんなでこうやって飲み食いするもんなんだろ?」
「何故だ?今までは―」
やらなかったじゃないか。
私が言う前にリロイがシャンパンを開けつつ口を開く。
「急に思い出したんだ。そしたら、やりたくなった」
私はそれ以上言及できずに、大人しく注がれたシャンパンを呷る。
シュワシュワと泡を立てる黄金色の液体は、私の喉を仄かな苦味を残して流れていった。
なんとなく、切ない味。
「大切な人とな、こうやってクリスマスを祝うもんだってアイツがいつも言ってた。
俺達にいつかそういう人が出来てもちゃんとできるようにって3人で毎年、真似事をしてたんだよ。
俺にとってお前は大切な存在だからな、今日が本番ってわけだ」
「リロイ…」
「ん?なんだよ、そんな顔して。せっかく買ってきたんだ、食べようぜ」
そう言ってリロイは食卓に私を促した。
私はほとんどされるがままに席につき、並んだ食事に手をつける。
それら全てが―認めたくはないが―最高に美味しく感じられた。
もしかしたら、ホテルの高級な食事よりも美味しいかもしれない。
リロイが私のために用意した食事だからというだけで、こんなにも食事の味が変わるものなのか。
それがなんとなく悔しいが、私は幸せだった。
「あっそーだ」
「……?」
「これ、やるよ」
「なんだ?」
皿の上がすっかりきれいになった頃、リロイが私の目の前に小さな包みをちょこんと置く。
開けてみろよ、と自信満々に言うリロイを私は疑いの目で盗み見ながら、そっとそれをあけてみた。
「これは…」
「お前、本好きだろ?」
「あぁ。…有り難う」
出てきたのはシンプルな栞。
リロイにしてはセンスのいい選択だっただろう。
私は席を立ち、もらった栞を放り出してあった本にそっと挟み込む。
だが、席に戻ろうとして私ははたと考えた。
マズいな。私は何にも贈り物を持っていないぞ…。
確か、こういうときは互いにプレゼントを交換するものではなかったか。
背中に感じるリロイの視線に冷や汗しながら、私は彼を振り返る。
さあ、どうする自分?
素直に何もないと言えばよかったのだろうが私としてはそうすることに躊躇いがあった。
ただ、何かを無償でされるということに慣れていないだけなのだが。
辺りを見回しながら、私は何かないかと焦っていた。
焦ってなければこんな事、一生するわけが無かったはずだ。
「リロイ、私からだ」
「…お、おいっ。コレ…」
「遠慮するな―というか貰え。返却は却下だ」
半ば強引にリロイに握らせたそれは淡く緑色に輝く宝玉。
いわずもがな私の本体なのだが、苦肉の策というヤツか。
「本当に貰っていいのか?」
「ああ、構わん。ただし売り飛ばしてくれるなよ」
「んな事しねぇよ」
どうだかな。私は皮肉を込めて相棒を見遣ったが、そんな視線も心底嬉しそうな笑顔の前に、効力を無くす。
「本当にいいんだなっ?」
「……何度も同じことを言わせるな」
「ってことは、お前は俺のもんなんだ。へぇ〜っ」
ニヤリと意地悪く笑うリロイの表情に悪寒が走る。
私はどうすべきだ?
だが、結論が出ないうちにリロイが私を捕らえてしまう。
体に回された強靭な腕をどうやったら振り解くことが出来ただろう。
「じゃあ、キスしてもいいんだな?」
「…あ、あぁ」
拒否すればリロイは笑って冗談にするんだろうが、駄目だとは口が裂けても言えないような気がしていた。
自分が浅はかだったと今更思ってももう遅い。
私は完全にリロイのペースに嵌められていた。
「じゃ、遠慮なく」
その言葉に、私は覚悟を決めて目を閉ざす。
近づいてくるリロイの気配。
体が、緊張のあまり馬鹿みたいに震えているのが自分でも情けない。
だが、リロイの唇はいつまでたっても降りては来なかった。
「・・・・・・む?」
眉根を寄せ、目をうっすら開くとリロイの顔はすぐそこにあって。
彼の漆黒の双眸が私を真っ直ぐに捉えていた。
「なんだ、やらないのか?」
憮然として言うと、リロイはくしゃりと顔をゆがめて苦笑し、私の鼻先に宝玉を掲げた。
「コレ、預かっててくれないか?物質をとるのはやっぱ俺のやり方じゃねぇからな」
そういわれた瞬間、がっかりしてしまったのは何故だろう?
私は胸の内で苦笑しながら宝玉を押し戻してリロイを見据えた。
「悪いが、預かるにもそれなりの料金がかかるんだ。払うというなら預かってもいいが?」
「なんだよ、それ。…幾ら払えばいいんだ?」
「そうだな、私にキスしてみろ。そしたら預かってやる」
私の要求にリロイの目が最大まで開かれる。
それからじわりと広がるように喜色を湛えて、リロイは私を引き寄せた。
「だったら、なんどでも預けに来ないといけないな」
「ふん、預けるほど高価な物をそんなに持ってもいないだろうが」
「いいんだよ、んな事はどうでも」
「なに―…っん」
反論はリロイの口に飲み込まれてしまった。
さて来年は何を贈ろうか?
しだいに薄れてゆく思考の中で、私はぼんやりとそんな事を思っていた。
クリスマスネタですね、はい。
前置きがイチイチ長いのはいつもの事なんですが、リロイがいつからそんな甲斐性のあるヤツになったのやら。
突っ込みどころが多い作品になってしまいました〜(汗)
by.涼木ソラ