『私はお前の事を……愛しているんだ』
相棒の口から零れた告白に俺は一瞬言葉を詰まらせた。
驚愕、とか嫌悪、とかじゃない。
ただ昔を思い出したら、何も言えなくなってしまった。
遠い、遠い、昔のことを思い出したら。
Fessel
「あーっ、今回の仕事も楽勝だったね!ったく、上級のあたしたちにあんなヘボい仕事やらせるなんてギルドもどうかしてるよ。そう思うだろ?あんたたちも」
片手に持った報告書の束をばさばさと乱暴に振り回しながらサンドラが俺たちを振り返る。
土埃にうす汚れた廊下を歩きながら、俺たちは仕事の報告と報酬の受け取りに向かう最中だった。
「おい、それは俺に対する嫌味かよ」
「なに言ってんだい、あんただってあと何回か仕事をこなせばA級昇格が決まってるじゃないか。心が狭いねぇ」
声を暗くするのは相棒のジェイス。
しかしサンドラは彼の不満を鼻で笑って、やや猫背気味の背中を激しく叩く。
「痛ぇじゃねーかよっ!」
「こんなんで痛がってちゃ昇格も取り消しかねぇ・・・」
「・・・くそっ」
ジェイスは叩かれた衝撃でずり落ちた伊達眼鏡を指先で直しながら、忌々しげに吐き捨てた。
俺はそんなやり取りをなんとなく視界に納めながらもどことなく居心地の悪い思いでいる。
今だけじゃない。
俺が一年ほど前にA級昇格してから、ずっとこの居心地の悪さを味わっていた。
それは多分―いや、絶対にアイツの視線のせい。
ずっと肩を並べて生きてきた俺たちの間に初めて走ったどうしようもないランクという名の亀裂。
俺はそんなもの、どうにでも埋められると思ってきた。
もし先に行ってしまったのが俺じゃなくてアイツだったとしても、階級の差なんて気にしない―と思ってた。
だけど、所詮それは勝者の言い分なのかもしれない。
敗者の気持ちなんて理解できないものだけが言う傲慢な、哀れみを装った蔑みの感情。
ジェイスの濁った視線が、俺の瞳に突き刺さる。
「お前もコイツに何とか言ってやりなよ。友達だろ?」
「…なんだよ、それ」
「いいから、曲がった性格のこの子にガツンと言ってやりなっての」
俺とジェイスの間にあるわだかまりなんて知る良しもないサンドラが、呑気な声で俺に言う。
彼女のおかげなんだ。
俺たちが、それでも相棒同士で居られるのは。
彼女だけが、階級なんてものは下らないと一笑に付してくれるから。
それが無かったら、俺たちはとっくに他人同士になってたかもしれない。
「・・・何にも言わなくていいぞ、リロイ」
「あ、あぁ・・・」
「なんだい、つまんないねぇ」
「俺たちで遊ぶなよな、いい加減・・・」
「おっ、事務所についた着いた!」
ジェイスの言葉は上手いタイミングでサンドラに阻止された。
威勢良く事務室の扉を開くのを見遣って、彼は仕方なしに口をとざす。
俺は、黙ってジェイスとサンドラのあとに続いた。
「ご苦労様、それからミッション成功おめでとう。これがあなたたちの報酬よ」
サンドラがまとめた、汚い字ののたうった報告書と封筒にきっちりと収められた報酬を交換して俺たちは早々に事務室を後にしようとする。
はっきり言って、事務室にいるとろくな事がない。
傭兵が本業の俺たちが、どういうわけかコピーだの荷物運びを強要される事になりかねないからだ。
だが、そそくさと退室しようとした俺たちを、誰かが唐突に呼び止めた。
「おいっ、君はリロイ・シュヴァルツァーだな?」
「―は、俺・・・か?」
「そうだ、君だ」
呼び止めたのは壮年の男。
高級そうなスーツに身を固めた彼は、分厚い書類をパラパラとめくりながら、俺のことを見つめている。
いや、俺を見つめるのは奴だけじゃない。
サンドラも、ジェイスも俺のことを不審そうな目で見据えていた。
「あんた、なにかやらかしたのかい?」
胡乱げに問うサンドラの目は、楽しそうに輝いていて。
彼女のトラブル好きには俺だって頭が下がる。
だが、俺の記憶にはそんなトラブルは欠片も無くて―俺は見当もつかない呼ばれた理由に、心底頭を捻っていた。
「なんかあったっけなぁ・・・?」
しかし、俺の心配と一部の期待を他所に、男の言った事は見当はずれな事だったのだ。
「おめでとう、A級傭兵リロイ・シュヴァルツァー」
「へっ?何が?」
「来月には君の昇格が決まっているそうだ」
「―俺の、昇格・・・?」
「ああ。君の、だ」
一瞬なにを言われたのか理解できずに茫然とする俺の横で、サンドラが陽気な声で快哉をあげる。
「凄いじゃんか、リロイっ!これでS級昇格決定だな!!」
S級・・・。
その凄さをすぐに理解するなんて到底無理だった。
だが、皆が喜んでくれるならそれでいいか。そう、思おうとしたとき不意にジェイスと視線が合う。
「あ・・・」
「―おめでとう、リロイ」
にこやかに笑って俺の肩を叩くアイツ。
でも俺はしっかり見てた。
ジェイスの目が、ちっとも笑っていないのを。
「どういうつもりなんだよっ!言いたいことがあるなら言ったらどうだ!?」
サンドラと別れて、部屋に戻ろうとするジェイスを、俺は苛立ちも顕わに追いかけた。
無言で閉じようとするドアをすかさず足を挟むことでこじ開けて、狭い部屋に身を滑り込ませる。
閑散とした部屋の中には染み付いた煙草の香りが立ち込めて、俺はなれない匂いに鼻を顰めた。
「うるせぇな。黙って出てけよ」
神経質な挙動で新たな煙草に火をつけるジェイス。
吐き出した薄灰色の煙の向こうから俺を見据える眼つきは鋭い。
「それとも、賛辞がもっと欲しいのか?S級のリロイ」
「っ・・・なんで・・・」
俺の中で疑問が渦巻く。
どうしてそんな事のこだわるんだ?
ランクなんて、どうでもいいじゃねぇか。
けれど、それを声にしてぶつける事は出来なくて、俺は言葉を詰まらせた。
「なんで…?はっ、馬鹿かよオマエは」
蔑むような笑みを零してジェイスが俺に向き直る。
それから一歩、まるで獲物に飛び掛る寸前の猫のように歩み寄って、ふっと彼は煙草の煙を吐いた。
うっと唸って目を擦る俺をジェイスは馬鹿にしたように眺めながら、指にした煙草でドアを指す。
「出てけよ。そのツラ見てると苛々すんだよ」
だが、俺は出て行かなかった。
「・・・なぁ、俺が悪いんなら謝るよ。だから・・・」
どうして俺はこんな馬鹿なことを言えたのだろう。
ほとんど無意識に発していた愚かな言葉に、ジェイスの顔色が一瞬にして変化する。
「調子に乗んなよオマエ・・・っ!」
「ジェ・・・スっ!?」
怒りを湛えたジェイスの表情から目を話せないまま、凄い勢いで俺の体が壁に押さえつけられる。
その拍子に、壁に画鋲で留めてあった写真がハラハラと床に舞った。
俺たちの写った、昔の写真が。
「オマエには一生分からないだろうな、束縛されるってことなんか」
「そく・・・ばく?お前・・・何に束縛されてるって言うんだよっ」
「黙れよ、オマエに分かるわけない。だが―この際教えてやるよ。それがどういう事なのかをなっ」
それは、言うと同時に俺の耳朶に飛び込んできた。
布を引き裂く、不快な音。
それが一体どこから聞こえてくるのか―混乱していた俺が全てを理解できた時、俺の体を覆うものは何一つなくなっていた。
「やっ、やめろジェイス!」
「うるせぇんだよ」
ジェイスは聴く耳を持たずに俺の唇に噛み付くようなキスをする。
キスとも呼べないような、キスだ。
ただ俺を痛めつけるために口付けをし、体をまさぐる。
爪の先で引っかく事で傷跡をを残し、噛み付く事で、蹂躙の証を刻む。
俺は痛みとそのなかに僅かに見出す快感とに荒い声をあげながら、必死でジェイスを宥めようとした。
しかし、そんな努力も効き目は無くて。
「S級だろ?嫌なら逃げてみせろよ」
皮肉たっぷりに口の端を持ち上げてジェイスは自分のモノを慣らしてもいない俺の後ろにそっとあてがう。
逃げる事はきっと出来たんだろう、物理的には。
だが俺は逃げなかった。―いや、逃げられなかった。
俺の全身を貫く痛みが、ジェイスの中にある苦しみの足元にも及ばないとなんとなく、思ったから。
「なんでだよ・・・」
顔をひくひくと引きつらせ、ジェイスは瞠目して俺を見る。
「逃げろよ…逃げたらどうなんだよっ!!」
「・・・・・・」
「S級なんて、そんなものなのかよ・・・自分の身も守れねぇで・・・」
はっ、と乾いた声をかすかに漏らして、ジェイスは俺の横にへたり込んだ。
俺はそれを横目にみながら尚も黙りこくっていた。
「馬鹿みたいだ。こんなのがS級なんてな・・・馬鹿みてぇ」
「ジェイス・・・」
「だが、そんな馬鹿にふりまわされてる俺はもっと馬鹿だな・・・ちくしょうっ」
「ジェイス・・・?」
「出てけよ。お前の事、愛しちまったんだからしょうがねぇだろ。なのにお前は俺からどんどん遠くなる。引き止められないなら、いっそ消えちまえよ」
「ジェ・・・」
「早くっ!!」
その後俺がどうしたのかは覚えていない。
でも、俺はあの時初めて、アイツが何を思っていたのかの断片を覗くことが出来たのだ。
そして知った。
俺が愛されてたという事を。
「リロイ・・・?」
怪訝な顔をして俺を見つめる相棒を、オレは柔らかに微笑んで抱きしめる。
「ああ、俺も愛してる」
俺の言葉にくすぐったそうにはにかむ相棒に、俺はささやかな幸せを感じた。
そして思う。
どうして愛情のカタチはこんなにも違ってしまうのだろうか、と。
こんな事を言えば、相棒は気色悪いとでも言うのだろう。
だが一つだけ確かな事がある。
それは
俺もジェイスを愛していたという事。
そして、今はこの一振りの剣に同じような―もしかするとそれ以上の感情を抱いているという事だ。
ジェイス話でした。
タイトルのFesselはドイツ語で鎖の意味。動詞にすると束縛です。
しっかし、中途半端な話だな…(汗)
エロを書くのは苦手なので(というか、感情面での描写が大好きなので)、ジェイスとは寸止めな感じになってしまいましたねー。
いつかエロ書きたいです。
って、いつになることやら・・・。
by.涼木ソラ