Pulverschnee
目が醒めたら、真夜中だった。
冬の夜気にひんやりと冷えた安宿の一室は、水を打ったような静けさに包まれている。
その、耳にキーンと鳴りそうなほどの沈黙の中で、俺の心臓は早鐘を打っていた。
寂しいような
不安なような
何かが欠けていることに怯えて沸き立つ不思議な感情。
ふと窓の外へ目を走らせると、そこは一面の銀世界。
しかし、雪は全てを真っ白に塗り替えてもなお飽き足らず、深々と降り続けているようだった。
俺は目覚めた原因が一瞬、敵の気配を感じたせいかと思ったが、どうやらそれは間違いらしい。
どこにも殺気を放つ気配は無く、むしろ俺は在るべきものがそこに無いことに気付いてしまう。
部屋の片隅に立てかけられた一振りの剣―
その主の存在は、部屋のどこにも無かった。
なんで…なんで居ないんだよ…っ!
自分勝手な言い分だというのは重々承知のこと。
それでも心の中にあった漠然とした不安感が、小さな怒りにすりかえられ、そのうえ俺はどうしようもなく狼狽していた。
俺は落ち着かない心が命ずるままに、意味もなく部屋をうろついて、それから宿を飛び出した。
薄いシャツを着ただけで、留め具さえ留めずに履いたブーツをがほがほ言わせて―俺は銀世界のなかの黒い一点となった。
積もったばかりのさらさらとした雪に足跡を刻みながら俺はあてもなくあたりを彷徨う。
だが、俺には分かっていた。
この白一色のどこかに、相棒は居るのだと。
その根拠は―ただの勘、だ。
そうして少し歩いた先に、やはり相棒の姿はあった。
吹きすさぶ風と、それに流されて舞い上がる雪の粉のただ中で、相棒はじっと佇んでいた。
「おいっ・・・・」
声を掛けようとして、しかし俺は口を閉ざした。
淡い雪明りに浮かび上がる、その白に飲まれてしまいそうに儚げな相棒の姿が目に焼きついて離れない。
銀糸をなびかせて立ち尽くす彼の姿は凛として、とても―綺麗だと、そう思った。
「・・・リロイ・・・?」
俺の存在に感づいた相棒が少しだけゆっくりと振り返る。
俺は咄嗟に何かを言おうとしたけれど、口から零れ出たのは、白く煙る息だけだった。
言葉よりもなによりも、相棒を体で感じたかったのかもしれない。
無意識のうちに足は相棒へと向かい、腕は自然と彼の細い体躯に導かれる。
早く捕まえてしまわないと、消えてしまいそうに儚いと思った相棒の体は、雪のように冷たかった。
でも、そんな温度でさえ俺にとっては火よりも暖かい。
その温もりはきっと、俺の心の温度なのだろう。
俺は相棒を強く掻き抱いて、耳元にやっとの思いで囁いた。
「なに、やってんだよ・・・風邪引くだろーが」
風邪なんて引くわけない、そう言いたかったのか、相棒は軽く唇に笑みを刷く。
それから一対の翡翠のような目で遠くを見据えて呟いた。
「・・・雪を見ていた。お前は、雪が好きか?」
「雪、か。あんまり好きじゃねぇな」
「そうか、私は好きだぞ。雪を見ていると・・・なんとなく洗われたような気分になる」
洗われたような気分。
俺はそんなもの、欲しくはない。
雪によって己の汚れ、ひいては罪をを断罪するというならば、俺はいったいどれだけ雪を見てればいい?
俺はじっさい自分の罪から目をそらして、しかもそうすることで強さとする、愚かな男だ。
身を引き裂くような寒さの中で、息も白く凍ることのない相棒を見つめて、俺の胸がしくしくと痛む。
その相棒の清廉さに泣きたい気持ちにさせられたが、俺に許されたのはぎこちなく笑う事だけだった。
「もう戻ろう。いくらお前でも風邪を引く」
相棒の柔らかな声音に促され、俺たちはようやく歩き出す。
肩に積もった雪を互いに払い落として、手をつないで。
絡み合った指先と掌がしっとりと湿っていたのは雪のせいだけじゃないだろう。
「・・・やっぱり、雪は嫌いだ」
宿の入り口をくぐる間際に呟いた俺の科白に、相棒は何も言わなかった。
ただ、それで構わないと云うように目を微かに細めただけだった。
それでも俺は相棒が俺の全てを許してくれたような気がして、無言のなかに安堵を見出す。
「雪は、嫌いだ」
今度は口の中で噛み締めるように吐いた言葉は、俺の中で淡雪のように溶けて消えた。
雪の清らかさのせいだけじゃない。
ふいに脳裏に過ぎった相棒の姿に苦いものが湧き上がる。
それは―雪は、相棒を消してしまうような気がした。
俺がどんなに引き止めても、その白さに相棒が溶けていってしまう―
そんな馬鹿げた幻想が、何度も繰り返し浮かび上がって、俺の心を苛んでいた。
雪はまだ、止みそうに、ない。
せっかく冬なので、雪にまつわるお話をと思って書いてみました。
話の面白さ、というよりは雰囲気を感じていただけたら幸いです。なにせ、はっきりいって内容は全然ないので(汗)
本当はジャクマクという熟語を使うつもりだったのに、出てこない・・・。
難しい漢字を出す方法、知ってる方いましたら教えてくださいぃ(切実)
by.涼木ソラ