Welche Farbe ist es?
冬を突き抜けて、一足早い春が町を包んでいた。
リロイは安宿の二階の出窓に腰掛けて、温かな陽光に照らし出される明るい世界を見下ろす。
道中、偶然に出会った男から頼まれていた仕事はもうとっくに終えていた。
このアースランドの東岸の港町にいる商人に、男から預かった品物を渡す、という朝飯前な仕事だ。
その報酬として商人から小遣い程度の金貨を受け取り、その足で宿を取る。
そこは安いながらも立地は程よく、海岸沿いに続いている美しい景観を一望する事が出来た。
「いい天気だな・・・」
一流の傭兵すらぼんやりとさせてしまう様な温かな風が窓から柔らかに吹いてくる。
リロイは心ここにあらずといった風に呟いて、まどろみ落ちそうになる瞼を手の甲で擦った。
どうせ独り言なのだろう。
さして同意を求めているとも思えないリロイの声を、私は無言で聞き流した。
だが、その代わりに本体から分子の体を構築する。
淡い光を纏って現れた私の第二の体は、即座にあらゆる感覚を伝えてきた。
生ぬるい、けれど心地よい空気の温度や鼻腔をくすぐる春の匂い。
ひきつけられるようにしてリロイの傍へ歩み寄れば、視界いっぱいに鮮やかな桃色が飛び込んできた。
「桜・・・?」
―まさか、こんなにも満開に咲き誇っているとは。
夜更けの闇にまぎれてこの町に来た私は、この美しい光景に全く気付いていなかった。
だがよくよく思い出せば、この港町が弥都との友好の証として桜をもらったという話があったような気がする。
もっともそれは十数年前という昔の話題ではあったのだが。
いづれにせよ、私はささやかな感動を覚えながら、大陸では滅多に見られないだろう景色に目を奪われていた。
春を全身で表したかのような鮮やかな薄紅色は、情緒豊かに風に揺らぎ、そして舞う。
「桜、か・・・」
「どうした?」
ふいに耳に入ってきたリロイの声に、私は視線をめぐらせた。
リロイは眠気に負けたのか、目を閉ざして安らいだ表情をさらしている。
私はその緊張の欠片も無く緩んだ頬へと、半ば無意識に掌をあてがった。
リロイは心地よさげに口元をほころばせ、私の手に己の無骨な手を重ねる。
そうして私の手に頬を擦り付けるようにしながら、僅かな逡巡の末に口を開いた。
「昔、桜を見たことがある」
その少し思いつめたような固い口調は、リロイが暗い過去を語ろうとしていることを暗示していた。
私は相棒の過去を知りたいと要求した事は無かったが、誰に促されずとも折に触れてポツリポツリとリロイはその断片を語った。
誰にでも、背負いきれない何かを吐露したい時はあるだろう。
リロイがそうするたびに、私は深追いする事もなくごく当たり前のこととして彼の言葉を受け入れていた。
もちろん、全てが許容でき得る事柄であるはずがない。
けれど否定する事には何の意味もないと、私は自覚していたかった。
たとえそれが、自覚しているふりにすぎなくとも。
「この町に、来た事があるのか?」
私の問いにリロイは、いや、と短く応える。
「弥都に行ったことがあるんだ。アイツと―休暇の旅行でな」
アイツ、という言葉が示す人物を私は知っている。
そして、その男に対して下らない嫉妬心を抱かなくなったのはごく最近のことだった。
リロイは努めて揺らぎそうになる心を抑えている私には頓着せずに、またちいさく言葉を紡ぐ。
「あのときも、こんな季節で・・・桜が満開になってたよ。でもな、」
そこまで言って、リロイは唐突に言葉を切った。
うっすらと開かれた瞼の間からのぞく黒曜の瞳は、やや鋭く遠くを見つめる。
表情は今までとは打って変わって強張り、苦しげに歪んだ眉間の皺に、私はリロイの苦悩を垣間見る。
「でもな、あの時見た桜は―血の色をしてた」
「リロイ・・・」
「なぁ、桜って本当はどんな色をしてるんだろうな。俺にはよく、わからないんだが」
「それは―」
それはきっと、桜よりも他の何かに心を奪われていたせいだろう。
安らぎとは程遠い―禍々しく凄惨な何かに。
弥都で何があったのか、それを知る術は私には無い。
だがそれを想像するのは難しい事ではなかった。
相棒の周りに纏わり付いて離れようとしない、血臭と叫喚。
そのときもやはり、それはリロイに付いて回っていたのだろう。
私は考えるよりも早く、リロイを力いっぱいに抱きすくめていた。
それは、私に課せられた役目ではないかもしれない。
戦いを呼ぶために作られた私では、リロイに付きまとう暗い影を断ち切ることは出来ないのかもしれない。
それでも私は抱きしめる腕を弱める事は出来なかった。
「リロイ・・・今見る桜も血の色をしてるのか?」
突風に舞って、桜の花びらが窓から部屋へと飛んでくる。
ひらひらと踊るように漂うそれをリロイは何気なく指先に摘んで光にかざした。
「いや、この桜は・・・綺麗だな」
そう応えるリロイの、照れたような、けれど屈託の無い微笑みに私は少なからず安堵する。
「そうか」
「あぁ・・・」
リロイは穏やかに頷いて、花弁を摘んだ指を離した。
桜は再び風に乗ってどこへともなく消えてゆく。
願わくば、リロイが見る桜の色が二度と血の色に濁る事がない事を。
「リロイ、それが本当の桜の色だ」
私はリロイの日に焼けた黒髪に鼻先を埋め、視線の先に広がる桜並木をじっと目に焼き付けていた。
そろそろ春ですねー。コートを着なくても余裕で出かけられる季節になってまいりました。
というわけで、春めいた感じのお話を書いてみましたよ。
テーマはむろん桜でございます。
春なわりに暗めの話になってしまいましたが、個人的に雰囲気は悪くは無いかなぁ、なんて思ったり。
もちろん、リロイが前に桜を見たのは、ナタクフジカのお話のときですねー。
読んでくださりありがとうございましたv
by.涼木ソラ